児ポ問題

日本人は古来、民族構成が単一に近く、またモンスーン気候性の風土が「和を以って尊しとなす」民族性を醸成してきたこともあって、「隣近所と同じ自分」を善となす文化を有する。

昨今、これに対する浅薄な反発が「個性の重視」「ナンバーワンよりオンリーワン」などという耳ざわりの良い標語とともに氾濫し、あたかも社会の規範としての同一性に反逆する事が理性的態度であるかのような主張及び行動を行う方々を目にするようになった。

言語道断である。

日本人とは、協調と同一化の生命なのだ。
それがいやなら日本から出て行けば良いのである。
ただし、自由の国と言われるアメリカでさえゲイやレズビアンには社会の目が厳しい。海兵隊でゲイ行為が発覚すれば除隊させられる。

世界とはそも、かように規律に準じた社会を有している。

そのような状況で、昨今の若者が児童を性愛の対象としたカストリ雑誌に群がり、またそれが暴力団の資金源ともなる状況が生まれていると言う。恥ずべきことである。教育の崩壊はここまできたかと目を覆わざるを得ない。


彼らは、思想の自由や表現の自由を盾にとり、己の身勝手極まる主張を押し通そうとしているらしい。しかし、あらゆる自由にはその対として義務が存在する。彼らは社会秩序に貢献し、日本という国家の一意性を保つ義務を果たしていると言えるだろうか? 否である。

そのような状況下で、児ポ法の議論に貴重な国会の討論を浪費させることはない。問答無用で法律で禁止してしまえばよいのだ。昨今の弱腰な政治家の態度が増長した若者の暴走を許してしまっているように映る。

政治家諸兄にはもっと毅然とした態度で為政を執っていただきたい。